諸法無我


 諸法無我とは、すべての「もの」は因縁により生じ実態がない。ということです。                     

 私という存在は、先祖や両親に、水や空気等の自然がなければ、私は生まれ成り立っていません。       

 例えば、私の先祖が食べた魚にも先祖がいます。魚はプランクトンや大自然の生命により成長して、魚の命は私の先祖の命として生かされ、私の命の要素となっています。このような様々な関わり合いの縁が繋がり結晶体となり私の存在があります。つまり私は私だけの「もの」では成り立ちません。                                 

 私は私の体でありながら、私の思い通りにはなりません。今の姿は一時的なもので常に変化しています。細胞は生滅を繰り返します。だから病気にもなります。回復することもあります。次第に老いて亡くなり自然に還ります。身体だけでなく、色んな因縁(影響)で考え方(心)も変化します。                              

 他との関わりがないものを仏教では「我」といいます。この世には縁のないもの、何一つ関わりのないもの「我」はないから「無我」といいます。                     

 私達は、人や動物、自然環境など他の「もの」と共に生きて、他に生かされながら、自分も他を生かしながら、私という存在が今あります。                    

 ご縁を大切に生きたいものです。