南米仏教開教110周年記念巡回法要の旅


2013年2月12日~18日(ペルー4日間滞在)


<はじめに、ペルー再訪理由>

 今回のペルー訪問は、2011年に「広島ペルー協会20周年記念ペルー訪問の旅」以来、2年ぶり2回目になりました。私は、前回の御縁をきっかけにペルー・移民の歴史、南米仏教に興味を持ちました。現地では、読経希望者はいるものの僧侶不足を知り、私に出来る事をさせて頂きたいと思いました。2013年は南米仏教開教110周年にあたり、自宅仏檀と墓地の読経、慈恩寺での法要・法話・坐禅会を決意しました。(これは私の個人的な巡回法要の旅です)

<ペルー移民>

 1899年に南米初の集団移民は、第1回移民船790名(新潟372名、山口187名、広島176名、岡山50名、東京4名、茨城1名)が日本から1ヶ月以上かけてペルー南北の港7ヶ所に降ろされる。ペルーから日本人は、大規模な農業プランテーション(耕地)として4年契約で雇い入れられる。主に、砂糖黍生産・製糖作業に従事する。初期移民は、言語や気候の違い、不慣れな砂漠地帯での過酷な労働と伝染病、医療不備で1年半後には124名が亡くなった。農場主は死者が多いため「埋葬は数人一括で」と決め遺体は移民小屋で何日も寝かされたという。改善を求めた移住者たちの日本政府への訴えにより、待遇は改善されていく。そんな中でもペルーへの移民事業は続き、1923年の移民契約廃止まで、17,764名の日本人がペルーへ移住した。

【サン・ニコラス耕地行き150名が上陸したスーぺ港の海を眺める】

【パン・アメリカン・ハイウェイ】


<南米に仏教伝来>

 1903年、日本からペルーへ第2回移民船1,178名と共に乗った曹洞宗僧侶「上野泰庵(うえのたいあん)」は、南米開教と移民監督として渡り、葬儀・法事だけでなく坐禅会や日曜説法で布教され、移民の模範的立場となり仏教を伝える。

 1907年、南米初の仏教寺院『曹洞宗「仏徳山南漸寺」後に、「泰平山慈恩寺」と改名』を上野師が移民と共に建立し開く。また上野師は、移民風紀向上に貢献、寺に隣接した南米最古の日本人小学校で初代教諭としても活躍される。

【慈恩寺開山上野泰庵】

【南米最古の仏教寺院慈恩寺】

【慈恩寺開山堂】


<現在のペルーにおける仏教と日系人>

 ペルーの人口は約3,000万人(2012年)。その内日系人は、10万人を超えるという。ペルー首都リマから南へ約150キロ(車で約2時間半)離れたカニエテにある慈恩寺では、リマ在住の僧侶やブラジルから曹洞宗僧侶が年数回法要に訪れているようである。また、過去には曹洞宗挙げての式典も行われた。


 日系人には宗派や宗旨にはこだわりがなく、宗派・宗教を超え日本人慰霊を祀る施設が慈恩寺となっている。日系人にとっての仏教は、宗教ではなく習慣といわれる。移民初期の布教活動であった、釈尊の教えを学び実践する仏教ではなく、儀礼仏教になっている。その儀礼仏教さえも今は衰退が進んでいる。


 日系人の先祖供養は、「先祖が信仰した宗教で祀りたい」思いが強く、仏檀を祀る家が多かった。しかし、世代交代等でカトリック等へ改宗する者が増え続けている。地方では、僧侶による読経はほぼないようである。そのため世代が変わると仏壇を手放す人も多いようだ。今回旅の途中、日系人に仏壇の存在を確認すると処分したという者も少なくなかった。また、地方から都市へ移ったため田舎の仏壇をどうすればよいのかという質問の声を聞いた。相談を聞き導く僧侶が極めて少ないため、先祖が大切にしていた仏檀は新しい世代には重荷や無用となり、先祖を敬う日本人の心が薄れているとさえ感じた。勿論、先祖が祀っていた通り仏壇を大事にしている者もいる。


 以前の慈恩寺は住職がいたため遠方まで読経や布教へ訪れていたようだ。1992年、慈恩寺最後の住職である6世没後は、読経師による自宅での法要や仏式葬儀は、近年まであったようだが、それも現在ではほぼないようである。定期的な僧侶の自宅読経や布教はほぼない。多くの人を集めての行事はあるが、一軒単位、個人単位の僧侶の寄り添いは成されていないようである。現在、慈恩寺や日本人墓地は日系人たちによって護られている。

<日系人自宅法要>

 今回、日程的な都合から自宅訪問読経は3軒であったが意義深い訪問になったと思う。

 1軒目は、自宅法要後、日本人墓地への車での送迎、食事の接待を受けた。家庭料理はとても美味しかった。
 2軒目は、前回訪問した読経師「徳田義太郎」宅であった。徳田師は、2012年6月に亡くなられその菩提を祈った。

 3軒目は、4日間宿をお借りした「チャンビ家」で数珠供養、仏像開眼、先祖供養を勤めた。その他、同訪者の太田氏が数軒読経をしたようである。

(撮影:オスカル・チャンビ)


<日本人墓地・慰霊碑巡回法要>

 日本人墓地の墓参は、先人たちの苦悩を思うと胸が詰まった。「慰霊塔」などと記された上に十字架が掲げられている。スペイン人による植民地時代の宗教強制を色濃く残す歴史である。


 現在、ペルーには日本人墓地4ヶ所(護持のため壁に囲まれ出入口は施錠されている)、日本人慰霊碑14ヶ所がある。今回墓参した5ヶ所を紹介したい。

 

・サンニコラス日本人墓地
日本移民発祥地の1ヶ所であるサンニコラスの日本人共同墓地。墓地は砂地であるが、そこから見える景色は緑の木々、広く青い海が見渡せる。まるで故人が故郷日本を見つめているような穏やかな空気を感じた。


・バランガ公営墓地
バランカ地域にある公営の墓地内に日本人が埋葬されている。日本人慰霊碑等はないが個々に日本人墓が存在する。広い公営墓地だけあり綺麗に清掃されている。


・パラモンガ日本人墓地
地方の町中にあり、無縁塔と100前後の石塔が並ぶ。墓参者の形跡は少なかった。


・サンヴィセンテ公営墓地
カサ・ブランカ郡にある公営墓地内に日本人慰霊塔が1基ある。綺麗に清掃され墓参者は絶えない様子であった。

(撮影:オスカル・チャンビ)


・カサ・ブランカ日本人墓地
7メートルを超す「無縁塔」が立つ。戦前から慈恩寺と当墓地は「移民の聖地」と呼ばれ今でもお参りが絶えない。ペルー全国から集められた日本人の人骨や土が合祀されている。

(撮影:オスカル・チャンビ)

(撮影:オスカル・チャンビ)


(撮影:オスカル・チャンビ)

(撮影:オスカル・チャンビ)


<慈恩寺での法要>

 2013年2月15日、慈恩寺で南米開教110周年を記念して法要をさせて頂きました。参加者は、ヒデヨノグチ校(リマ市の日系校)児童生徒・保護者・教諭。リマ在住の日本人・日系人、カニエテの日系人たち計約40名。慈恩寺有志の会の賛同を得て実現に至った。僧侶は、太田宏人氏(ペルー・日系人・慈恩寺の歴史について最も詳しいフリーライター)と筆者(清涼晃輝)の2名であった。

「南米開教110周年記念法要」

蝋燭の片面に「ペルー日系先没者諸精霊菩提供養」もう片面に前文をスペイン語訳した「Que en paz descansen los antepasados y pioneros Nikkei Peruano」記された蝋燭6本に、ノグチ校児童生徒が献灯後、三拝、散華、般若心経唱和
(日本語の読めない参加者のためにローマ字読みと、スペイン語訳を配布※太田氏作成)、回向、三拝


(撮影:オスカル・チャンビ)


(撮影:オスカル・チャンビ)

(撮影:オスカル・チャンビ)


「ペルー日系先没者追悼法要」

(撮影:オスカル・チャンビ)

(撮影:オスカル・チャンビ)

(撮影:オスカル・チャンビ)


○法語、修証義・舎利礼文(焼香)、回向、合掌礼拝

○法話

○カニエテ日系人協会会長挨拶

○ヒデヨノグチ校校長挨拶

○坐禅

○昼食(前夜、おにぎりを作り持参しました)、演奏会

(撮影:オスカル・チャンビ)


 法要後、皆喜んで下さった。ある人は「先祖も今日はあの世でお祭りだ」またある人「私は霊感が強く、慈恩寺へ入った時に激しく心が乱れ法要後の演奏会が出来るか心配だった。しかし法要が終わると、その不穏な空気は消え気持ちよく演奏出来た。食事や演奏の前に法要を行う大切さを感じた」

 

 

坐禅は、全員参加で大多数が初体験であった。坐禅後「何か気持ちよかったです」という声を沢山頂いた。「坐禅のすすめ」(曹洞宗宗務庁発行)パンフレットは希望者に呼びかけた所、子供から大人まで「またやってみたい」といい沢山受け取りに来た。

(撮影:オスカル・チャンビ)

(撮影:オスカル・チャンビ)


(撮影:オスカル・チャンビ)

皆に、腕輪数珠(曹洞宗一仏両祖であり慈恩寺に奉られている「釈尊」「道元禅師」「瑩山禅師」入り)、家庭用サイズ蝋燭(日本語とスペイン語で「先祖代々供養」印字)を配り、握手をした。法要で一つになり人の温かさと御縁を感じた。


(撮影:オスカル・チャンビ)

<旅を終えて>

日本人がペルーへ残った理由の一つに食べ物があげられます。ペルー料理は絶品です!!

【ペルーのカレーライス!?】

【ペルー料理代表的なセビッチェ】

【釈迦頭】正式名称バンレイシ。形状が螺髪を持つ仏像の頭部に見えることから釈迦頭(しゃかとう)と呼ばれる果物。甘くて美味しいです。


【慈恩寺位牌堂には3,000以上の位牌がまつられいる】

(撮影:オスカル・チャンビ)

【首都リマ市内公営墓地】


 

 

 日系移民共有の財産であり心の拠り所が、南米最古の仏教寺院「慈恩寺」である。だから「移民の聖地」と呼ばれるのであろう。先祖を敬い、故郷を愛する思いは異国の地でも変わらない。ペルー日系人の多くは先祖供養、先人達への供養を希望している者が多い。前回同様、僧侶の必要性を強く感じた。供養と布教との両方が必要であり、仏教に興味を持っていることも確かに感じとれた。ペルーの仏教は習慣と言われるが、私は違うと思う。仏教的な精神、日本人の魂の様なものを感じた。現地人は、「ペルー人、日系人、日本人其々違うものを持っている」という。私は、日系人が仏教の心や実践を自覚していないだけだと思う。少なくとも「先祖が信仰していた宗教で祀りたい」とは感謝の気持ちからであろう。仏教でいえば敬愛、実際に仏壇を祀り続けていることは仏教の実践であると思う。習慣こそ大事な仏教の実践である。これからもその真心を大切に、受け継いで頂けるよう心より願います。

 

 最後に、この巡回法要は太田宏人師のご尽力なくしては実現しませんでした。深く感謝申し上げます。また、オスカル・チャンビさんと川又千加子さんご夫妻はじめ多く方々にお世話になりました事、深くお礼申し上げます。

 グラシアス!!

 また、必要とされているのならば三度訪問したいです。